20坪と暇つぶし

 
平成25年7月30日から8月4日迄《6日間》インド旅行に行き世界遺産を見聞して来ました。
インド《アーグラー》 世ー文ー外 E タージ・マハル
ヤムナー河畔に建つムガル皇帝シャー・ジャハーンの愛の記念碑、その白亜のドームは、人類が地上に残した一粒の真珠です。彼の死後黒大理石の廊は造られることなく、愛妃の隣りに静かに眠っている{若くして亡くなった妻《ムムタズ》の為に建てた総大理石の霊廊}
 

インド《アーグラー》 世ー文ー外 F アーグラー城
キムナー河岸にそびえたつこの城は、アクバル帝によって1565年築かれた、ムガル帝国の権力の象徴、力強いを持つ建物です。内部には宮殿が並ぶが、立木や芝生に野生のリスが動き廻っている。

玄関口にて
 
中庭
 
政治を行う場所
 
インド《デリー》 世ー文ー外 G クトゥブ・ミナール
ヒンドゥー、イスラーム両様式が混じった高さ72.5mの塔。1993年ユネスコの世界遺産に登録された
ミーナールはインド最初のイスラーム王朝である奴隷王朝〈1206〜1290〉のヒンドゥー教徒に対する勝利を記念して建てたものだ。塔は5層からなり直径は基部が14.3m、頂部が2.7mと上部に行くにしたがって細くなっている。1192年に建設が始まったが、アイバクの存命中に完成したのは、1層部分だけでした。残りの2〜3層は後継者のイールトゥミッシュによって完成した。


正面からのクトゥブ・ミーナール

クトゥブ・ミーナールを背景に
 

クトゥブ・ミーナールの周囲城壁
 
インド《デリー》 世ー文ー外 H レット・フォート I フマユーン廊
オールドデリーの中心的の存在、第5代ムガル皇帝シャー・ジャハーンが建てた巨大の城。城壁などが赤砂岩で造られているので〈赤い砦〉と呼ばれている。ムガール帝国の第2代皇帝フマユーンの廊。{後にタージ・マハル建築にも影響を与えた。}
ジャイプルの見どころ J《ジャンタル・マンタル》天文台、ジャイ・スィン2世は天文学に造詣が深かった。ムガル皇帝の許しを受けて、インド各地に天体観測儀を集めた。最初に造ったのがデリーでその後ジャイブルで、ここの物が巨大で観測儀の数も多い。2010年世界遺産に登録された

レット・フォート〈ラール・キラー〉 H
 
フマユーン廊〈遠景〉 I
 
フマユーン廊〈ユネスコの登録証〉 I

サムラート・ヤントラ《日時計とし計測》  J
 
ナリ・ヴァラヤ・ヤントラ《北・南半球の測定》
 
ラグ・サムラート・ヤントラ《標準時から時差を》
スイス《トゥージス〜サンモリッツ〜〈イタリヤ領〉ティラーノ》 世ー文ー外 K 
レーティッシュ鉄道アルブラ線/ベルニラ線と周辺景観 H25.8.18
鉄道ファンやスイスリピーターの間で人気が高いのが、レーティッシュ鉄道アルブラ線〈クール〜サン・モリッツ間〉とベルニラ線〈サン・モリッツ〜ティラーノ間〉を走るベルニラ特急{ベルニラ・エクスプレス}だ。アルブナ線は氷河特急ルートでマッターホルン・ゴッタルド鉄道としてレーティッシュ鉄道の共同運行で、ツェルマット〜サン・モリッツ間の270kmをおよそ8時間かけて走る。平均時速は34kmで鈍行である《深い渓谷、4000m級の山々、291の高架橋、91のトンネル》車窓からの眺めは素晴らしい。クール〜サン・モリッツはレーティッシュ線鉄道でそのうちトゥージス〜サン・モリッツ間が世界文化遺産に登録された。《箱根鉄道のラック・レールを》使用している。

イタリヤ領《ティラノの駅》外観
 
構内の《ティラノ看板》近景

ティラノ構内にて列車と

途中の停車場の風景 
 
ベルニナ線オープンループ橋
 
ベルニナ線オープンループ橋

アルブラ線サンモリッツ停車場 
 
車窓からの風景
 
日本の箱根鉄道と{レーティッシュ鉄道}姉妹
 
平成25年9月1日に、今年世界遺産に登録された、富士山と三保の松原へ{三保の松原ウォーキング 12Km}へ行ってきました。《エスパルスドリーム〜船宿{末廣}から清水次郎長の生家〜清水港線遊歩道〜御穂神社〜神の道〜羽衣の松〜三保海岸〜三保桟橋〜駿河湾ミニクルーズ〜日の出桟橋》 約20分のクルーズ   世ー文ー日〔5〕 三保の松原

清水次郎長の生家
 
羽衣の松
 
三保海岸《天気が良ければ》こんな風に望む

平成25年10月23日から30日まで、世界遺産の旅に行ってきました。《感動のイタリヤ10大世界遺産、夢のグランド周遊》国際空港成田第一ターミナル南ウイングより《スイスインターナショナル エアラインズ》チューリッヒ《12時間》で乗り換えイタリヤへ50分《ミラノ》で、そしてホテル《現地時間で夕方の6時50分》到着 時差夏時間で7時間そして10月27日に冬時間になり時差8時間となるようだ。
翌日ミラノのドゥオーモ《イタリヤを代表する教会堂》バスで273Km移動しベネチアへ《水の都・世界遺産》
世ー文ー外 L ドゥカーレ宮殿、サン・マルコ広場、サン・マルコ寺院があり、ゲルマン民族の大移動により追われた西ヨーロッパ避難民が自冶政府を形成しベェネツィア共和国なった。ところがナポレオンの侵略により崩壊したと伝えられている。
《毎年2月下旬から2週間に渡り開催される仮面舞踊会》がある。

ドゥオーモ広場より撮影

ドゥオーモ広場とスカラ座を結ぶアーケード
 
アーケードにある《かかとで回ると願い事叶う》

L サン・マルコ広場
 
L ため息の橋
 
L ゴンドラ・クルーズ《55ユーロ》
 
翌日《10月25日》ベニスからフィレンツェへ〈280Km〉《芸術の都・世界遺産》世ー文ー外 M 歴史地区観光を、ルネッサンス芸術の集大成 ウフィッツィ美術館・ドゥオーモ・シニョリーア広場・ミケランジェロ広場等があります。そして約90Km移動し《ピサのドゥオモ広場・世界遺産》世ー文ー外 N 高さ55mのピサの斜塔〈地盤沈下で傾いた 中心から4、5m〉ガリレオが『落体の法則』実験した事も有名、又戦利品でドゥオーモを建設された。大聖堂では、ローマのサン・ピエトロ、ロンドンのセント・ポールに次ぐ3番目の大聖堂。

Mミケランジェロ広場〈ダヴィデ像〉

Mミケランジェロ広場、歴史地区の市街一望
 
Mサン・ジョバンニ洗礼堂
 
Mドゥオーモ大聖堂〈世界で3番目〉
 
Mクーボラの内部天井
 
Mシニョリーア広場〈ダヴィデ像〉

M ヴェッキオ宮殿〈現在は市庁舎〉
 
N洗礼堂〈八面屋根を持つ十二角のドーム〉
 
Nピサの斜塔〈高さ55m〉
10月26日ピサからバスで2時間30分かけ、サン・ジミニャーノへ《塔の街と言われる 世界遺産》世ー文ー外 O
サン・ジミニャーノ歴史地区へジョバンニ門からポポロ宮殿、そしてドゥオモ広場でここから5分程行くと、ここが町の端であり眺めは、まさに中世そのままの蜂蜜色の建物が今でも残っている。『皇帝派と教帝派の二大勢力が塔の建設争った』
昼食後〈約40Km〉移動する。シエナへ《世界で一番美しい広場 世界遺産》世ー文ー外 Pカンポ広場

Oジョバンニ門
 
Oポポロ宮殿〈現在は、市立美術館〉
 
Oドゥオモ広場

Oここが町の端からの眺め〈蜂蜜色〉
 
Pカンポ広場〈左側〉
 
Pカンポ広場〈右側〉

10月27日にホテルを8時30分出発し、シエナからピエンツァへ、〈約70km〉美しい田園地帯が広がるオルチャ渓谷をドライブしながら《ビエンツァ市街の歴史地区 世界遺産》世ー文ー外 Q  ローマ法王ピア2世が『理想の桃源峡』としたルネッサニス建築のスタイル、可愛い村がある。午後に移動〈約100Km〉
《アッシジ 世界遺産》世ー文ー外 R フレスコ画の傑作で埋め尽くされた『サン・フランチェスコ聖堂』
観光、散策後バスで〈180Km〉ローマに移動し、今晩の宿泊ホテル直行した。『今日は最高の天気に恵まれた』

Qビエンツァ市街地《入口門》
 
Q市街から望む《田園地帯》

Q市街から望む《オルチャ渓谷》
 
R《サン・フランチェスコ聖堂》広場から反対
 
Rサン・フランチェスコ聖堂
 
R広場から奥が《サン・フランチェスコ聖堂》
10月28日は、少し早目の出発〈ホテルを8時〉だった『地元のガイドの指示で』30分早くとの事が理解できた。私たちのグループの後には、たちまち人の並ぶ列がバチカン市国外に連なった。
《バチカン市国 世界遺産》世ー文ー外 S 日比谷公園の3倍〈0.44Km2〉、聖職者や衛兵など
793人〈2011年3月〉世界最小の独立国だが、世界に12億の信者がいる『2度の火災の跡に1506年より120年掛けて、ラファエロやミケランジェロらの巨匠の手により竣工、これが現在のピエトロ大聖堂である』  《ローマ歴史地区 世界遺産》世ー文ー外 21 スペイン広場は『ローマ休日の舞台となったスペイン階段が有名』 トレヴィの泉『三又路の意味で、ローマ最大の噴水である。泉に背を向けてコインを投げ入れると、ローマ再訪が叶う』言い伝えがある。コロッセオ『300年以上も血生臭い試合が行われた舞台で4階建ての円形競技場』では剣闘士同志あるいは、猛獣と生死をかけた試合が行われていた。

Sサン・ピエトロ広場
 
Sサン・ピエトロ広場《復活祭の時、法王席》

Sサン・ピエトロ大聖堂
 
21スペイン広場《ローマの休日》17段目
ここで振り向くオードリー・ヘップバーン
観光名所〈映画で撮影された〉
 
21トレヴィの泉《願いを掛けてみました》
 
21トレヴィの泉《正面から撮影》
 
21コロッセオ《凱旋門》
 
21コロッセオの外観《3階部分》