平成26年予てから考えていた世界遺産の旅〔熊野古道参詣道≪小辺路≫66.9Km〕を、4月1日〜6日迄間で
(5泊6日)行って来ました。弘法大師《空海》によって開かれた真言宗で比叡山と並び、密教の聖地である高野山と熊野
三山《熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社》の一角になる熊野本宮大社と結ぶ道である(紀伊山地の霊場と
参詣道)今回道中を歩行させて貰って静けさの参道、山里ののどかの風景に石畳み、石仏に心が癒されながら、私自身
体力の限界を感じながらなんとか全行程を終えた事、何か〈聖地〉の後押しして頂いた様な気がした、天候にも恵まれ
巡礼路の行程を無事に終える事が出来た事本当に感謝しています。これにより次の目標を求める事が出来ました。
世-文-日{4}
4月1日夜甲府駅前から《PМ22.10分》出発、近鉄高速バス《夜行》クリスタルライナーに乗車し、4月2日早朝に
難波駅に到着し南海電鉄に乗り換え極楽橋でケーブルカーで高野山駅へここで南海りんかんバスで《歩行者
通行禁止》専用道路を金剛三昧院まで乗車ここでいよいよスタートです。{出発時間AМ10.40分}大股へ
4月2日〔1日目〕高野山〜《水ヶ峰越》〜大股まで〈和歌山県から奈良県へ〉歩行距離 16.8Km 標高800m〜1,200m
{400mのアップダウン}でした。10時40分に出発、金剛三昧院玄関@、入口A、小辺路の道しるべB、水ケ峰越分岐C
〈PM2時40分〉、大股バス停まで下山D、〈5時47分着、6時に〉今晩の宿泊地であるかわらび荘へE |
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@小辺路〈高野山の玄関口〉 |

A金剛三昧院から300m程先 |

B小辺路此処からスタート |

C水ヶ峰分岐、県道と分かれ峠へ |

D大股バス停までの下山口 |

E宿泊地のかわらび荘〈食事OK〉 |
4月3日〔2日目〕大股橋〜《伯母子峠越》〜三浦口まで〈奈良県〉歩行距離 15.9Km 標高400m〜1,250m
{850mのアップダウン}でした。7時40分に出発、大股橋脇@、萱小屋跡9時A、伯母子峠11時着12時発B、
上西家跡12時50分C、三浦口下山4時23分に〈政所〉4時45分に今日宿泊地、旧五百瀬小学校を村で管理、
改築し《1階に台所、トイレ、風呂、2階に寝室》4人まで泊まれて一泊10,000円で3人では3、300円程で快適な時間を過ごして満足でしたD部屋での自炊してから風呂に入り食事をし7時過ぎに就寝しました。〈食事風景〉E
☆ 夜中〈12時過ぎに〉雨音で目が覚めカッパを着ての歩行は、一瞬考えたうとうとしている内に時間も過ぎ
明るくなるにつれて雨も霧雨になり決行しました。
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@大股橋、出発地点です |

A萱小屋〈急登りコースタイムの倍〉かかった |

B伯母子峠〈のんびり昼食〉 |

C旧上西家跡地 |

Dこの奥の旧校舎が宿泊地 |

E夕食風景 |
4月4日〔3日目〕三浦口〜《三浦峠越》〜十津川温泉まで〈奈良県〉歩行距離11.9km{ 15.9Km} 標高400m〜1,080m
{650mのアップダウン}でした。6時15分に政所を出発、三浦口バス停@、船渡橋《小辺路登山口》6時30分A、
吉村家跡《今も生き延びている樹齢500年の大杉》Bが、ある少し上ると30丁の水場あり、9時45分に着き休憩と、
ちょっと早いが昼食《パン1つ》三浦峠を10時に出発し三浦峠登山口に下山C、途中に今の残る石積あり《出店路》あり、後
にし西中バス停迄林道を10分程歩くとバス停に1時25分に着き、1日2本運行のバスに乗り《2時発》十津川温泉へD、バス
に20分程乗り十津川温泉へ今晩の宿泊先を観光案内で確認して3時前に《植田屋》E着きかけ流し温泉に浸かる《満足》
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@三浦口バス停《この県道を右折》 |

A船渡橋《ここからスタート》 |

B吉村家跡地《樹齢五百年》大杉 |

C三浦峠登山口《ここへ下山》 |

D左がバス終点《十津川温泉》 |

E値段も安く、料理は最高《植田屋》 |
4月5日〔4日目〕十津川温泉〜果無峠越〜八木尾〜熊野本宮大社まで参拝を終え、今日の宿泊地に新宮まで
歩行距離15.0km〔内バス移動が八木尾バス停から平岩口まで2.3km〕v)標高100m〜1,110m{1,010mの標高差}だ
朝7時に植田屋を出発車で登山口まで送迎、果無峠登山口7時10分スタート@急登の石畳み道が50分程行くと
展望が開けてベンチで休憩し、穏やかな登りを少し行くと鳥獣害の扉があり此処からが果無集落だ、整備された
石張りの登山道A、共同通信社《編集局》との話し合い《今回の古道ついて》B、果無集落のお婆さんとC果無峠D
八木尾バス停下山口に1時10分着、1時12分のバスに乗車し平岩口で下車《20分程》ここから三軒茶跡通りE
ここで小辺路が中辺路になり本宮へ、途中ちょっとよりみち展望台があったので、展望台《和歌山県朝日、夕陽
百選》ここからの展望で旧社地大斎原の大鳥居がはっきり見えました。F、熊野本宮大社まで約2.1km歩行ちょっと
疲れて時間がかかり2時45分到着G、休憩と参拝した後下りバス停へ《熊野交通バス》3時20分発新宮駅に乗る
4時30分に新宮駅のバスターミナルへ到着してホテルへチェクイン後、直ぐ夕食をして今日は就寝、翌朝6時30分
にホテルを出て約往復で《熊野速玉大社》に参拝しH朝食後、紀勢本線南紀4号新宮駅9時12分発名古屋駅に乗る
中央本線に乗り換え《信濃13号》1時に出発し長野県塩尻《2時55分着》で乗り換え3時出発スーパーあずさに乗り
4時過ぎに甲府に着く。《今回をまとめて見ますと、人と人との触れ合い更に広げたいと思います。》 |
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@果無峠登山口 |

A果無集落整備されている |

B果無集落にてインタービュー《共同通信社》 |

C果無集落のお婆さんと |

D果無峠にて |

E三軒茶屋跡《小辺路と中辺路》の交差 |

Fちょっとよりみち展望台 |

G熊野本宮大社 |

H熊野速玉大社 |
6月15日世界遺産登録《富士山》、世界遺産なった年に計画しました。富士山は5合目から
は登った事は有りましたが1合目からはなかったので、今回登る事が出来ました。{整備されて
いる参道、静かな山行でした} 世-文-日{5} |
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馬返しの駐車場 |

5合目の佐藤小屋 |

6合目の星観荘 |
6月22日世界文化遺産登録《富岡製糸場》登録の次の日に行って来ました。群馬県富岡市
富岡1-1、富岡はここから地番が始まる。明治初期に日本が唯一の輸出品である生糸、当時
の政府は大々的に模範工場の建設を考え、機械技術者が多く進んでいたフランスから技術者、
建築、機械等を取り入れ、5、3ヘクタールの敷地へ日常生活をできる建物まで造り、工女300人
を各都道府県に割り当て主に士族の娘を集めた。《診療所、教育の場、食堂》この敷地生活が
出来た。長野県から工女として、ここに1年半務めた横田《和田》英が当時の工女の日常生活を
記した『富岡日記』と言う回想録を出版した。《歴史を伝えるものだ》 世-文-日{6} |
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正面入口〔旧候門所〕 |

東繭倉庫〔長さ104、4m〕 |

東繭倉庫〔長さ12、3m 高さ14、8m〕 |

繰糸場の天井〔ヨーロッパ建築方式〕中柱を
途中でトラスで支える
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外壁はレンガ積〔フランス積〕 |

繰糸場〔繰糸機概用図〕
長さ140、4m 幅12、3m
高さ12、1m |

乾燥場の説明書き |

プリュナ館〔工女の教育の場〕 |

今年の春の大雪で倒壊 |
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