11月5日〜6日午後に、スベロニア観光を後にクロアチアの都市・トロギールへ〈460Km〉走り今日は
トロギールに宿泊、途中アドリア海に面し美しいリエカの町を散策した。翌日城壁に囲まれたトロギールの旧市街、聖ロヴロ大聖堂〈扉に彫られたアダムとイブは〉クロアチアの代表する傑作である。世界遺産{27〕
そして専用車で〈40Km〉走りシベニクへ、中世の街並みが美しく町のシンボルである聖ヤコブ大聖堂は
世界遺産{28}全て石つくり建造されている。そして約〈46Km〉走る事、中世に迷い込んだような都市で
クロアチア第二の都市であるスプリットに着く、地下宮殿が残るディオクレティアヌス宮殿。世界遺産〔29〕
見学後に約〈290Km〉走り、今夜の宿となるドブロブニクへ向かう。 |
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トロギール? |

トロギールの北門 |

シベニクのアンナ要塞から聖ヤコブ大聖堂 |

スプリット前庭〔パフォーマン〕がいる |

スプリット〔宮殿との地下通路〕 |

吹き抜けの天井から大聖堂が見える |
11月7日午前から、ドブロヴニク観光 世界遺産〔30〕へアドリア海の真珠と呼ばれてる。
諸外国からは、地上の楽園としてドブロヴニクに来たれ言われている。旧市街地は一周1、940m
の城壁に遊歩道ある。アドリア海の真珠と呼ばれる街並と海が織りなす絶景をさまざまの角度から
楽しめる。今回はロープウェイでスルジ山頂への予定でしたが、変更して遊歩道を散策した。結構
楽しくオレンジ色の屋根、紺碧のアドリア海の大絶景が見応えがあった。
観光後、国境を越えて〈90Km〉移動しモンテネグロのコトルへ途中、旅情溢れるカーフェリーに乗船
し、世界遺産〔31〕コルトの旧市街はアドリア海沿岸の入り組んだ湾の最奥にある港町、複雑な
海岸線と険しい山々に囲まれている上、背後の山に沿って城壁が築かれ要塞都市として栄えた。
散策後に再び国境を越えて、今日の宿泊地のドブロブニクへ |
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ドブロブニク旧市街地〈ピル門〉 |

聖ヴラボ教会 |

旧総督邸 |

大聖堂 |

大聖堂背後にスルジ山 |

オノフリオの大噴水 |

アドリア海と旧市街〈城壁上の通路〉 |

アドリア海と旧市街〈城壁上の通路〉 |

Piaca プラッア通り〈城壁上の通路〉撮影 |
コルト旧市街〈海の門〉 |

西門から入ると広場があり
正面にルネッサン様式の時計台 |

バス専用駐車場を出て海の門向かう
途中城壁、背後の明かりは周囲の城壁
があり明かりで照らしている。 |
11月8日午前から、ホテルを出て専用車でドブロブニクを後に〈115km〉ボスミヤ・ヘルツェゴビナに
向かい古都のモスタルへ渓谷を流れるネレトヴァ川に町のシンボルであるスタリ・モストがかかりモスタルは
古くから交易で栄えた。木製の橋をトルコ人の建築家が石橋に〈2004年〉頑固な橋にした、それにより
両岸の町と人々の結び生活の一部として発展している。世界遺産〔32〕昼食後に専用車に乗りクロアチアへ向かう〈330Km〉今晩の宿泊地へ6時間かけてブリトヴィッツェに着きすぐホテル8時過ぎだ。 |
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スタリ・モスト〔石橋〕中央から博物館 |

スタリ・モスト〔石橋〕左岸側 |

スタリ・モスト〔石橋〕上流から撮影 |

20世紀末の戦争、今もなお残る傷跡 |
 20世紀末の戦争、今もなお残る傷跡 |
 20世紀末の戦争、今もなお残る傷跡 |
11月9日朝から、クロアチア観光のハイライト、大小16の湖がある。世界遺産〔33〕ブリトヴィッツェ
湖沼国立公園は、ザグレブの南〈約110Km〉の位置にある、湖が連なり92ヶ所の滝で結ばれている
上流の上湖群と下流の下湖群の間には最大150mの標高差がある、エメラルドグリーンの湖と白い
渓谷が生み出す自然美素晴らしい。園内は林道が整備されてる又園内を結ぶボートやバスが運行して
いる。今回はコジャック湖のST1〜4迄あり、乗船し樹林に囲まれた湖の景色を楽しんだ。又ST2に途中
下船し木道を散策した見応えのある景色だ〔水辺生えている水草、聞く処には日本のタンポポだとの事〕
観光後今晩の宿泊地ザグレブへ向かう途中に、今観光に力を注いでいるラストケ村の集落に立ち寄り
緑と滝に囲まれた村可愛い水車小屋を見学〔若い女性が衣装を着て案内人をしていた〕一緒の写真 |
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ブリトヴィッツェ湖沼公園〔入口〕 |

滝 @下湖群 |

滝 A下湖群から |

滝 B下湖群から |

ラストケ村集落 |

ラストケ村のガイド〔何人かいたが皆若い〕 |
11月9日午後〜10日迄、クロアチアの首都〈135km〉先のザグレブへ、市内観光を散策した。
聖マルコ教会はゴシック様式で建てられ、モザイクの屋根が特徴ザグレブの紋章である、共和国広場
〔イェラチッチ広場〕クロアチア独立運動家のイェラチッチ像が立ち市民の憩いの場としている、聖母被昇天教会はカブトル地区の丘に建つシンボル的な高さ〈105m〉印象的だ。市民の足となるトラムの
利用が便利である〔市内を網羅する路面電車〕又イリツァ通りにゴルニ・グラードの丘へ登るケーブルカー
の駅がある。〈全長66m高低差が30m〉世界最短のケーブルカーと言われている。
行き成田〜ドーハ迄〈12時間30分〉乗継ザグレブまで7時間20分で帰りはザグレブからドーハ迄は、
〈5時間〉乗継で成田まで〈9時間40分〉でした。時差は−8時間である
今回の旅行で勉強なった事『クロアチアは親日であるワールドカップで両国も初参加で初戦で
対戦し0-1でクロアチア、その時銅メダルだった〈1998年〉次の回も初戦で0-0であった〈2002年〉、クロアチアは日本の九州の1、5倍の面積で人口が430万人、アドリア海は天国に1番近い楽園とも言われ美しい処である。スロベニアは日本の四国ぐらいで210万人、ポストイナ鐘乳洞は有名で
ここには類人魚が水槽の中にいます、1年間何も食べなくても生きる事が出来るそうです。六信
五行とはイスラム教え@アッラー、A天使、B啓典、C使徒、D来世、E定命、@信仰、A礼拝
B喜捨、C断食、D巡礼である。エジソンは直流〈自分の利益を考えた〉一方はニコラテツは交流を
人類の為に開発した。1円玉を4枚右手でしっかり握って酔えん唱える。酔い止めの薬をウィスキーで飲むと良い。ドリアンとアルコールは危険である。』 |
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ボスミヤ・ヘルツェゴビナ〈戦争慰霊塔〉 |

ボスミヤ・ヘルツェゴビナ〈戦争時の飛行機〉 |

ボスミヤ・ヘルツェゴビナ〈戦争時使用〉展示 |

石の門
聖マリアはザグレブの守護聖人になっている |

聖母被昇天大聖堂 |

聖マルコ教会
カラータイルで描かれたモザイク
屋根が特徴で市章である |

ザグレブ市内の灯りはガス灯〈ニコラテツ画〉 |

〈ニコラテツ画〉の近景 |

丘とふもとを結ぶケーブルカー |

共和国広場〈イェラチッチ像〉 |

ザグレブ市内のトラム |

ザグレブ〈パノラマ・フォーポインツ〉背後が |
平成26年12月31日〜平成27年1月7日迄で、 トルコ共和国の旅へ成田空港からターキッシュ
エアラインズ『TK』旧トルコ航空で、イスタンブールまで『直行便』12時間20分で到着し、現地時間は
午前4時40分に表へみぞれ交じり雨と風が強く寒さを感じ日本と同じ寒さだった。待機していた大型バス
に『31人』それにガイドと添乗員の33人乗車、アンカラへ『約450Km』バスの旅に。国土は日本の1、5倍
人口は7、500万人〈イスタンブールに1、500万人〉まだまだ広がるようだ。何回かトイレ休憩をしながら
途中で昼食し12時20分にアンカラへ『アナトリア文明博物館』を鑑賞した後に、宿泊ホテルに4時頃チェック
し、明日の朝は5時45分にホテルを出発するので今日はゆっくりしました。アンカラから『280Km』の位置
に、1月2日から1月3日かけて世界遺産の『32』のカッパドキアへ、奇岩の造形美が見事である又火山灰が
長い年月の間に侵食されてきた。今でも洞窟で生活してる。まるで有の巣ように地下へと延びる巨大地下都市
があり、当時イスラム教徒から迫害されたキリスト教徒たちは、地下へと身を隠した。現在発見され『カイマクル』と言われ観光されている。ここはでは5、000人以上生活していたようだ。まだ地下都市があちこちで発見され
ている様だ。又ギョレメの村周辺には大小さまざまなキノコ岩が林立しその合間をバルーン『熱気球』に乗り、
そのパノラマ風景を眺めるのは最高だった。 |
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アリの巣のように広がる奇岩群 |

カッパドキア特有が広がる洞窟 |

一般家庭に訪問しチャイを頂く『洞窟で生活』 |

洞窟レストランを外から撮影 |

洞窟レストラン内での昼食『鱒料理』 |

カッパドキア特有が広がる『ギョレメの谷』 |

カッパドキアの特有の風景 |

地下都市『カイマクル地下都市』の入口 |

洞窟内『天井は低く、狭い通路、迷路』がある |

妖精の煙突いわれるキノコ岩 |

私たちが乗る気球『準備中 4*5人』20人 |

上空から他の気球を撮影 |
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