平成25年5月25日から下旬まて世界遺産を目的に、ベトナムの《ハロン湾》カンボジアの《アンコール・トム、ワット》に行ってきました。写真はB世界遺産の旅に投稿し以外の観光、写真を載せました。石和高速バスから高速バスに乗り一路成田空港へ、朝9時30分発ベトナム航空て゜ホーチミンへ{約6時間30分}今日は、ラマナ ホテル サイゴン《RAMANA
HOTEL SAIGON》に泊まり、明日は午前中はホーチミン市内を観光し《サイゴン陥落の舞台となった統一会堂、サイゴンの大聖堂会、中央郵便局》午後は昼食後にショッピングなどで時間潰しホーチミン発17時30分乗り《約1時間》でカンボジア《シェリムアップ》に到着し入国審査後にシティ アンコール ホテル《CITY
ANGKOR HOTEL》に行き明日は世界遺産のアンコール観光をしました。入場は40ドル《1週間で》朝一番からアンコール・トム《神々と阿修羅が並ぶ南南門、四面仏の微笑みバイヨン寺院、躍動感のある像の彫刻が見事の像のテラス》午後からアンコール・ワットへ参道から全景を見るがこれは素晴らしかった何とも言えなかった。第一回廊から第三回廊まで壁画の細かい彫刻は見事のものだ。《石は皆砂岩》であり石と石との継ぎ目も解らい程段差がなく平らだ、こんな技術が9世紀から15世紀にあったと思うと恐ろしい又資金面もそうだろう。《今回アンコール・ワットの裏手から、太陽が沈んでいく夕日を見たかったが、雲がかかっており今回は残念だ。》次の朝5時にホテルを出発して朝日の鑑賞をしたが此方も雲がかかって残念でした。今日はアンコール遺跡群の観光《パンデアイスレイ寺院、タプロム遺跡、オールドマーケット》等を散策し夕方にベトナム《ハノイ》に移動した。《1時間40分》《10》 |
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サイゴン陥落の舞台となった《統一会堂》 |

サイゴン大聖堂会《カトリック教会》 |

聖母マリヤ教会の室内《建物が西欧風》 |

美しい半円形の天井《中央郵便局》 |

昼食《南部ベトナム料理》店の表入口 |

昼食《日本人好み味付けで》頂けました。 |

昼食《豚肉とニンニクの茎炒め》 |

カンボジア《シェリムアップ》入国口 |

ベトナム航空《久しぶりにプロペラ機》1時間程の飛行 |

シティ アンコール ホテル《メイン通り》撮影 |

シティ アンコール ホテル《玄関》にて撮影 |

世界遺産アンコール《パスポート券》発給場所 |

アンコール・トム《南大門》神々と阿修羅が並ぶ |

アンコール・トム《バイヨン寺院》 |

アンコール・トム《パプーオン》 |

アンコール・ワット《入口》 |

アンコール・ワット《入口》で撮影 |

アンコール・ワット《表より全景》 |

アンコール・ワット《見事の彫刻》壁画で砂岩 |

アンコール・ワット《見事の彫刻》壁画で砂岩 |

アンコール・ワット《見事の彫刻》壁画で砂岩 |

アンコール・ワットの夕日《雲にかかって残念》 |

アンコール・トム《バイヨン》クメールの微笑み |

タ・プロム《ガジェマルの樹木》最低限の修復 |

タ・プロム《ガジェマルの樹木に潰され自然の脅威》 |

世界遺産アンコール修復風景 |

女の砦《東洋もモナリザ》アンコール・トムから北へ40q |

カンボジア《シェムリアップ》市内の風景 |

市内で日本人夫婦が経営してる《民芸品店》 |

ノム・トム・ムーン《CAMBODIA・TEATIME》 |

カンボジアの《宮廷舞踊》 |

カンボジアの《宮廷舞踊》アブサラ
ダンスショー |

カンボジアの《宮廷舞踊》アブサラダンスショー |
5月29日深夜ベトナム《ハノイ》に着きハロン湾近郊のムオン タン ハ ロング ホテル
《MUONG THANH HA LONG HOTEL》まで空港から約3時間30分かかり深夜に到着した。
睡眠不足でベトナムで随一の景勝地であるハロン湾へ、クルーズへ大小の島3、000もの奇岩を
船で楽しみました。湾内の途中鍾乳石の《ティエンクン洞窟》ライトアップされて、とても神秘的
でした。昼食は船上でシーフード料理を頂きました。《3時間30分》下船しフランス統治時代の面影
を残すハノイ市内へ《国民的な英雄ホーチミンが眠るホーチミン廊、池の中に立つ一本柱
一柱寺、職人たちの町旧市街地、郷土人形劇の鑑賞を1000年以上の歴史のある伝統芸能》
ベトナムの農村部で誕生した。人形の中に仕掛けの紐があり、後ろから竹竿と紐をあやっている。
夕食後にハノイ空港へ深夜発に乗り帰国
梟{ふくろう} {袋} 《不苦労をしない。不来老いつまでも若い。福来老豊かな老後を迎える》 苦労した暁には必ず福が来る |
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ムオン タン ハ ロング ホテル《ハロン湾》 |

乗船場《ハロン湾》小型船が大多数 |

ハロン湾の途中の島に上陸し《ティエンクン洞窟》入口 |

ハロン湾《島々の海図》 |

ハロン湾を航行《奇岩が大小ある》クルーズ |

ハロン湾を航行《奇岩が大小ある》クルーズ |

ライトアップされた鍾乳洞《1ヶ所だけ外とつながってる》 |

ライトアップされた鍾乳洞《とっても鮮やかでした》 |

ライトアップされた鍾乳洞《女性の乳房》触れると良い |

職人たちの町《フランス統治時代の旧市街地》を散策 |

ホーチミン廊《国民的英雄のホーチミンが眠る》 |

池の中に建つ一本柱《一柱寺》 |

ハノイ市内の交通状況《バイクが大多数》 300万台 |

郷土芸能《村への凱旋帰郷》 |

郷土芸能《龍の踊り》 |

郷土芸能《最後あやっていた人達の挨拶》 |

ハノイ市内から空港まで《もう稲刈りをしていた》 |

民芸品店主に書いて貰った《梟のホルダー》 |
平成25年6月2日に第3回目の東海道五十三次≪歴史街道めぐり≫ウォーキングに行って来ました。今回は、蒲田から川崎宿から神奈川宿までの11、5kmそして自宅から石和高速バス停まで加えると、
今日は18、0Km位かなーまま良し 《松尾芭蕉の句碑、鶴見神社に於かれては三嶋由紀夫が祀る
昭和45年11月25日没、割腹自殺、生麦事件は当時のイギリス人4名が薩摩藩士に襲われ1名死亡、3名重症で幕府は補償金は支払ったが薩摩藩のおとがめがなかったので、イギリス人これに
不満が募りは薩摩藩を攻撃した。襲った場所に説明板がある》 結構勉強になりました。 《11》 |
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今回スタート地点の《太田区総合体育館》 |

六郷神社《源頼義、義家に創建された》 |

いさご通り《昔の名残があるかどうか》 |

田中本陣跡《宿場内最古の本陣》 |

松尾芭蕉の句碑 |

句碑《麦の穂を たよりに つかむ別れかな》 |

市場一里塚跡《日本橋から五里目》 |

鶴見川橋《対岸に鶴見橋関門旧蹟の碑》ある
安政6年横浜開港当時、警備の為設けた |

道念稲荷神社《蛇も蚊も》現代も藁で蛇を造り、
焼き殻を海へ流す、そんな儀式が今日やっていた |

道念稲荷神社《約300年前に悪疫が流行した》封じこめる為儀式《祭りは》現代まで伝わっている。 |

生麦事件《文久2年〈1862年〉8月21日に薩摩藩の行列を横切ろうとした為にイギリス人一行を殺傷した事件》 |

本日の最終目的地《キリン・ビアビレッジ》
蒲田〜川崎宿〜神奈川宿まで11、5km |
平成25年6月下旬から7月上旬 九州へ観光旅行へ行って来ました。鹿児島へ≪市内及び桜島へ≫宮崎に渡り日南市≪飫肥城、青島神社、鵜戸神宮≫等を一回りしました。昔は≪新婚旅行のメッカだった≫昭和40年頃から新婚旅行のカップルの数は日々、大型バスで10台位あったとの事でした。そんな話を聞かせて貰いました又予約でもなかなか時間通りに取れない、宮崎牛の専門店≪みやちく≫2年連続日本一なった宮崎牛で午後2時過ぎに昼食しました。今回は時間潰し
≪暇≫には良かったかなー 私やっと人生の思いでを一人で 《12》 |
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薩摩の小京都・知覧案内図 |

島津家水天側発電所記念碑 |

特攻平和会館内の遺書等 |

島津家別邸《獅子乗大石灯篭》 |

《獅子乗大石灯篭》 の案内 |

島津家別邸の庭園にて背景は桜島 |

鹿児島市市内のホテルから側《大久保利通像》 |

鹿児島港から桜島フェリーにて |

桜島内に造られた《普段は無い》火砕流用 |

福山黒酢工場見学《角志田》説明状況 |

日本百選のひとつ《関之尾の滝》 |

《関之尾の滝》を背景で |

飫肥《小村寿太郎候》の生誕地、明治の外交官 |

旧山本猪平家《飫肥の豪商》 |

藩主伊藤家の住まい《格式のある武家屋敷》 |

旧高橋源次郎家 |

商家資料館《昔使用した物を展示》 |

商家資料館《案内板》 |

鵜戸神宮《階段を登りトンネルを潜り下り玄関口》 |

日本でも珍しい階段を下りて参拝する《男は左で球を投げる》願い事をする |

参拝後に桜島背景に《曇っていて見えないけど》 |

青島《奥に見えるのが》 |

途中に《故事の山幸彦と豊玉姫》 |

青島神社の境内《玄関口》 |

青島の鬼の洗たく板《水生岩》 |

桜島の道の駅 |

桜島の道の駅からの展望 |
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