私の今迄の足跡
   《 人生は一瞬これかは、自分自身の目標の為に浪費は惜しまない。》
私は今までに3度、自分とって大きな体験をしました。その体験する度にいつも自分なりに、これからの

人生の進む方向その都度考えて生きて来たつもりでありました。その事により日々私の人生観が変化し

ていきました。まず1度目は、確か私が小学校6年生の春、五月の連休の時だったと思います。兄は、

地元の会社に勤務しその会社の山岳クラブに所属していて、普段の休日はいつも山に登っていたようで

す、たまたま予定が無かったようで僕を山に誘ってくれました。私はアルバイトの牛乳配達を急いで終わ

らせて、兄と一緒に山梨市からバスに乗って塩山まで行き、駅前から大菩薩入口の裂石行きのバスに

乗って大菩薩登山口まで行きました。誘われた時嬉しくて牛乳配達の途中に転び手を負傷した事を思い

し、兄に治療をして貰った事が今でも記憶にあります。それで途中休憩した時と大菩薩峠での写真を

載せて於きます。《包帯した後の写真です峠で》


そして1度目は※それから約2ヶ月後に、運命の悪戯か7月12日朝5時頃月曜日の朝の出来事だった

。親父さんから
兄が死亡したとの連絡が入った、私の脳裏の中には大菩薩峠へ、最後に連れて行って

やりかったのでは、なかったのだと思った。今思えば本当に優しい兄だったんだと思います。私が後に

登山に興味を持ち始める切っ掛けになった。

 
裂石より長衛小屋の間〔登山道〕
 
大菩薩峠にて




父、母、兄、S、私です
家族との記念写真♪
昭和39年初頭、父と母と兄と一緒に撮影した。〔ちょっと人見知りする犬 Sです。〕

この年の夏、日本でオリンピックが開催された。家の裏で炊事場〔井戸〕で、後ろは火薬庫〔一時保管場〕である。 三脚で自動シャッターでした。
 
千鳥の磯〔根津橋の上流〕


 そして2度目は、私が32歳の春、体調を崩し入院しました原因は、飲酒、タバコ、不規則な生活、

偏った食事、仕事のストレス等であったと思われる。病名は通風でたった、普通の成人男性3mg/dl〜

7mg/dlであるのに対して、検査結果を聞きびっくりしました。尿酸値は17.4mg/dlでしたこれで1ヶ月半の

入院生活を余儀されました。これから好きな酒、タバコ、食生活〔肉及び内蔵、脂の多い物〕を止めるよ

うにと、医者から言われました。素直な気持ちで、病院の生活を送り徐々に体が調子良くなって来たころ

、ちょうど1ヵ月ほど経ったかな,入院患者にどう1本どうだといわれ誘いに載って吸ってしまった。

それから止められず、すぐ退院になり家族全員で快気祝いと事で、食事会を致しましたその時、

一杯ぐらい良いだろうと事で生ビールをいただきました。その時のアルコールが体中の血管を流れて

いくのが、今でも忘れられません。〔こんな事初めてです入院でこんなに血管を清掃したから〕自分自身

今後、タバコ量と飲酒の機会を少なくし、何か趣味を持ちたいと思い、海外へ一人旅ものんびり出来て

良いかなーと思いました。

そんな事を考えながら自宅で、仕事の復帰に向けて2ケ月ぐらい静養し、仕事をやり始めて2ケ月

ぐらい経った時に、父の急死を聞きました。これは私へのメッセージであるのかと思い、酒、タバコをす

ぐに止めるわけにはいかないが、これから先少なくするように心かけなくては、いけないと思いました。で

もなかなか〔酒、タバコは、美味しいと思って呑む吸うことは、無かった〕でも少なくなる事は無かった。こ

の頃から、無尽仲間メンバーで、近場でのハイキングやの外国旅行を、又一人でも旅行する様になりま

した、そんな時私の第二人生はどうなるだろうと、考える様になりました。そうだ将来は物価の安い豊か

な国で暮らしたいと、夢は膨らみました。

 更に3度目は、40歳の夏の終わりに、足の親指から何となくずきんずきんと痛みを感じた。これは尿

酸値が又高くなったのでないかと思い、病院に行き血液検査をしてもらいました。後日その結果を

聞きびっくりした、値は17.2mg/dlでありました、痛みが激しくなり立って歩く事が困難になり、自宅で

治療する事にした、食事は毎日知り合いにお願いし、軽弁当とお茶を買い出して貰った。

軽食で弁当は2回に分けて、水分は多めに1日4Lぐらい飲みました。

知り合いにそれ以外にも色々お願いし本当に助かりました。

通風の痛みについて、お話しいますと体をどんな姿勢にしていても24時間痛みが、体中ずきんずきん

と、針で刺すような痛みですから何時もお腹に力をいれ、我慢する為汗が出ます、横になっていても

体を動かしていないと、痛みを紛らすことは出来なかった。

体験した人では無いと分からないと思います、こんな生活を1ヵ月半ぐらいし為、用足しは立てないので

膝で歩くため、たこが張りました。

その後順調に回復し、それから1ヶ月位静養した後に復帰致しました。

少し経った頃まさかまさかの、連絡あり病院入院したとの事、その3ヶ月後の年明け中旬に他界しま

した母の死亡が私の復帰後の生活をを考えさせられた。

ですから私が今後どの様にすれば良いか真剣に思いました。

 まだまだ止められない酒、タバコ、このままでいれば自分が駄目になると思い、この機会に飲んだ後具

合が悪くなる酒を止めようと決心した、仲間うちの飲む席での我慢、断り方が上手く出来ず苦労しました

が、それでも徐々に仲間への浸透し、飲む席でお付き合い出来るまでには、2年ほど時間がかかりまし

た。おのずから飲む時間お金に余裕が出てきて、自分で稼いだお金を違う方向へ使う発想し、無尽仲間

と外国旅行した事を思い出し、1人で行くなら外国旅行が良いと思い、年に2回ぐらい行けるかな、又仕

事柄三富村の不動ドライブインへ勤めている山男が 、しばらく現場事務所が開いて無かったから、如何

したのかと聞きに来ました。実は病気で静養していたんだよ、その時に今度登山でも、行かないかと誘

われた、私も昔兄に大菩薩峠へ連れて行って、貰った事があったのでひとつ変じて、返答した。その前

に里山を歩くように言われた。それで近場の山を、週末には良く登りました。今回は、甲武信岳へ

千曲川源流から登山しました。《3名で小屋泊》次は三富から登りたい思います。
                                
 

甲州市上萩原地内{堰堤工事現場}
 

甲州市上萩原地内{堰堤工事現場}徒歩にて
15分下る
 
久能山東照宮

 旧街道の関所跡地

台湾旅行{無尽仲間}1984年1月{34歳}

タイ旅行{単身}1986年10月{36歳}}
 

タイ旅行{単身}1986年12月{36歳}
 

フィリッピン旅行{単身}1987年8月{37歳}}

 

タイ{パタヤ}旅行{単身}1988年12月{38歳}



 台湾旅行{兄弟}1993年12月{43歳}